陰茎太郎ー石の巻

陰茎太郎は悩んでいた。

悩みといっても頭を抱えて知恵を振り絞り解決できる類いの悩みではない。

悩みとは彼の頭のことだった。勿論、知能のことでなく彼の象徴的な男性器型の頭部であった。

その頭部に異変が現れ始めたのはほんの3ヶ月前の聖なる夜、クリスマスのことだ。

聖夜、陰茎太郎はいつもの任務−すなわち世間の浄化のため、頭部についた男性器から液を射出し、世の不満不平を浄化することである。

普段ならば陰茎太郎は心に邪念を抱えずひたすらに射精していたのであるが、聖なる夜、彼の心は成人とは程遠い心持ちだった。

陰茎太郎は考えていた。聖夜とは聖人を尊び、また失われたことを憂い、見てくださっていることをまた、感謝する日である。しかしながらこの人々はどうだ、聖人を口実とし性を貪欲に求め、甘味に飢え、自ら欲するものを親兄弟、友人から与えられ、また他者の欲するものを与える。性を求めるものは不満を持ちながらも欺瞞的な顔で愛の言葉をささやき、甘味に飢えたものは普段と変わりなき味でもあたかも特別であるかのように喜び、貢ぎあう者共は特段欲することのない貢物を受け取っていても断ることをせず。例えそれが儀礼的なものであろうとも、結局それは聖人を隠れ蓑に使い自己や他者に浅き満足を与えあうだけの日ではないのか、と。

そう考えながらいつもよりどす黒く染まった虹を黄の混じった白濁液でごまかすように浄化した。

翌日、陰茎太郎の頭におびただしい量の角ばった突起が現れた。

その突起物がなにか、陰茎太郎はわからなかったがなにか良からぬものだということはわかった。何故ならば、それ以降射精の際に突起から膿状の生臭い液体がドロリと垂れるようになったからである。

それからのもの、陰茎太郎は苦労した。射精の度に膿が流れ落ち、異臭が周囲に立ち込めた。これにはたまらず人も逃げ出し、陰茎太郎の心はさらに荒んでいった。

「俺はヒーローなのに。」と、何度も陰茎太郎は口にした。

何度も突起物をはずそうと努力した。ナイフ、焼きごて、チェーンソー、レーザーメス、ありとあらゆる手法を試したが、傷つけては増え、傷つけては増えを繰返し、三月には陰茎太郎の頭部は突起物に覆われ、立派だった頃の面影を失っていた。

かなしばり

さっき寝てたら金縛りにあった。

金縛りの夢を見てただけで実際かなしばりだったかどうかはわからないのだが。

金縛りが解けた!→なんだ夢かそんでまた金縛りか!→動けたけど眠剤のせいで意識が朦朧としてる!!→夢だった!!また押し入れからでなきゃ!!!でも金縛りだ!!!

とかぐるぐるやっててやっと今私がスマホを入力している世界へこれたわけです。

死ぬかと思った。

でも不思議と、今回みたどの夢の空間も以前夢でみたことのある場所だったり、実際にこの世界に存在した空間だった。

実は私たちは複数の次元に存在し、夢を通して他の次元のことをチラリと認識できるものなのだ!!ってことだったりおもしろいのになあ。厨二病くさいけど。

とりあえずいつも金縛りにあって起きた日とかは運が良かったりいい結果がだせたりするので楽しみだ。

あと起きたときに股間がめちゃくちゃ湿っていた。臭いをかいだけどどうやら汗のようでほっとした。

グレッグレイクが死んだ

グレッグレイクが癌で死んだ。

もちろん彼のベースもすきで、歌声もまた、とても大好き。

中学生でプログレを聴きはじめたばかりの頃、地元のCD屋の中古コーナーにELPのアルバム、展覧会の絵が置かれていて、「あ、これなんか雑誌でジャケ見た!」となり買ったことを覚えてる。

それで家に帰って再生して、やっすいKENWOODのコンポにCDを入れて、プロムナードが流れて。

姉がよくピアノで弾いてたから「あ、これ聴いたことあるなー」と思ったんだっけ。

曲の間の詳しい印象は覚えてないけど、とにかく「これがプログレなのか!!」と思った。たぶん当時はわからないことに興味を持つお年頃だったんだろう。

ただ、「よくわからないけど、何かいい!!」と思ってた。こう思っちゃう辺り、今でも自分は変わってないなあと思うけど。

とにかく、中学生の頃は本当に大好きなアルバムだった。もしレコードなら間違いなく擦りきれてたと確信できるくらいに何回も何回も聴いた。

そうしてるうちに、「よくわからないけど何かいい!!」が、「この曲のこの部分シビれるなあ」となるようになった。

それでやっぱり何回もシビれさせてくれるのが、グレッグレイクの歌声だった。

繊細ですぐに壊れそうだけど、でも力を出したらすごく強くて、プロムナードの時の歌声が前者でバーバ・ヤーガの呪いの最後にthe bone!っていう所が後者の典型的な例かなあ。当時は馬鹿で歌詞とか全く気にしてなかったからザッボン!っていうとこかっこいいな!!とか思ってたけど。

で中学の頃ゲイリームーアのこと知って、もういつだったかわかんないけどゲイリームーアのライブ盤にNuclear Attackっていう曲がはいってるの聴いてオイオイかっけえなこれどのアルバムにはいってんだってなってググったらグレッグレイクのソロプロジェクトがあるの知ったんだっけ。

当時はアマゾンとかいうの知らなくて聴くのにYouTube使ってたっけ。今はLPが手元にあるけど。でもやっぱり、本当にこの人の歌声はいいなあって再認識した。なんか本当に好きなんだよね。いつ聴いても。

てかぐだぐだと何を書いてるんだろう。本当は恐怖の頭脳改革にもぶったまげた話(とくに悪の教典が大好き)とかクリムゾンキングの宮殿とかいいよねとか留学中に買ったELPとグレッグレイクの検索してもでてこないブート音源が留学してた頃の一番の収穫だったとか、ベースをはじめてからグレッグレイクがもっとすきになった話とか、きりないくらいにあるんだけど、書ききれそうにない。

でも今回の訃報で一番思ったのは自分はたくさんのものをグレッグレイクから受け取っていたんだなあと改めて実感させられたこと。

たとえ生で見たことがなくても、聴いたことのない作品があろうと、どういう生まれだとかどういう思想だとかなにが好きだとか嫌いだとか知らなくとも。たくさん受け取ったことは事実であって覆しようがない。

とにかく、グレッグレイクはたくさんのことを感じさせて、教えてくれた。
そしてまだまだ多くのことを感じて、学ぶと思う。

たぶん多くの人がそう思ってるんじゃないかな。


そういう意味では、展覧会の絵の最後に歌っていたように
"There's no end to my life
No beginning to my death"
なのかも知れないよね。

まあカールパーマーも追悼コメントでおんなじこと言ってたけどね。彼の追悼コメントで引用した言葉はさっきの引用のあとに続く最後の一節
"Death is life."
だったけどね。

あたまがぼんやり

ねむれずになにをするでもなく

ただぼんやりとかんがえごと

あーすればねれるかなこーすればねれるかな

あれがただしいのかなこいつがちがうのかな

そういうことをかんがえて

ねむれぬよるをすごします

あさひがでるとこわくなる

きょうもあさまでおきちゃった

せいかつりずむはどうなおす

むりやりよるまでおきていよう

おなかがすいたななにたべよう

そんなことをかんがえながら

このぶろぐをかきました

なにをしたくてかいたのか

じかんつぶしにかいたのか

わかんないからかんがえる

わかりたいからかんがえる

じぶんのこころもわからない

まったくなんにもわからない

わからないからこそたのしい

わからないからこそむなしい

おかしな夢をよくみる

最近おかしな夢をよくみる。

今日見た夢の舞台はロシアだった。

私は山の頂上で猫と遊んでた。

すると猫が足を滑らせてか、崖から落ちていった。

そのときふとその遊んでた場所が幅50cm程度の細い所で両側がおそろしく切り立った崖だということに気がついた。

遠くから白いふわふわの猫が近づいてきたので撫でているとまた、落ちていった。

仕方ないのでバランスをとりつつ前に進んだ。

いつのまにか崖は消え道は太い樹の枝になっていた。

バランスをとりつつ先に進んでいくと、どうやら私と同行していたらしい女の人がスイスイと枝の上を渡っているのを知った。

私はおそるおそる進み、ついに渡りきることができた時、同行していた女性や私についてきていたカメラマンらとひとしきりの感動を味わった。

ふとあたりを見渡すとそこは広い公園であることに気づいた。

先ほど枝を渡り歩いた大樹や、巨大な広葉樹が生えていて地面は芝に覆われていた。

ふと同行していた女性が声をあげ、「イチョウだ!!」と叫んだ。

女性が指差した方向を見ると確かに10mはあろうか立派なイチョウの樹が黄色い葉をつけ立っていた。

そして彼女がイチョウの樹に見とれている間、私はふと、後ろに動物の気配を感じた。

振り返ると小柄なヤギの姿があった。

私は地面にたまたま落ちていた緑色の何かの丸い木の実をヒョイと投げるとそのヤギはまるで獲物を捕食するカミツキガメのようにバクリと木の実に食いついた。

私はそのヤギの頭を撫でると、私に同行していた女性が一連の流れを見てか目を輝かせながら拍手を送っていた。

そして不意に、肩を叩かれ、振り向くと、いかにもインド人ですよとでもいいたげなターバンを巻いた肌の浅黒い男がいた。

つたない日本語で「もっと、オモシロイノ、ある」と話しかけてきたのだ。

私は公園を散策していたかったので興味がない由を伝えようとしたが、同行していた女性が、「それなら是非見てみたい。」とインド人に芸を要求した。

するとどういうわけかインド人がヤギに接吻し、息を送るとヤギが風船のように膨らみはじめ、腐敗した鯨のように、突くと破裂してしまうんだろうな。とわかる程に膨張した。

インド人は「直に治る。」といいどこかへと歩いていった。

私は悲惨にも膨れ上がり身動きのとれなくなったヤギをひとしきり観察したあと、呆然と立ち尽くす女性には声をかけず別のものを探そうと歩みを進めた。

するとまた例のインド人に出くわした。手には軍鶏を抱えていた。なるほどこんどは軍鶏を膨らますんだなと思い見ていると、案の定軍鶏に接吻し空気を送り始めた。

するとヤギと同じく軍鶏もふくれ始め、ついにはバランスボールのように膨れ上がった。私はまたこれか、と内心呆れつつ見ていたが、それを察してかインド人は「今度はもっとすごい。」と言い膨れた軍鶏に針を刺した。

軍鶏は穴の風船のように空気の出る音をたて、その大きく膨れた体とは不釣り合いになった翼をインド人に掴まれ、ブルンブルンと暴れていた。

そして軍鶏の反撃か、インド人に軍鶏の爪が刺さった。インド人は「あっ」と驚き軍鶏の翼を掴む手を離した。

すると軍鶏は残り少ない命を察してかはたまたただ本能的にそうしたいだけなのか、あたりを自由気ままに駆け巡った。

そして体も小さくなってきていた頃、見覚えのある物の上に飛び乗った。先ほどインド人が膨らませたヤギであった。

軍鶏はヤギの上に飛び乗ると、翼を羽ばたかせヤギの膨れて薄くなった皮膚に爪を食い込ませた。

この後起こることを察してかインド人は、「やってしまった…」と言わんばかりに後悔の表情を浮かべ、軍鶏に引っ掛かれた腕の傷を押さえていた。

そして軍鶏はヤギの上で躍りを披露し、突然その動きを止めた。するとまるで軍鶏の死を祝うかのように、パァン!と破裂音が鳴り、ドロリとヤギと血と臓器がこぼれ落ちた。

こぼれ落ちた先は水が浅く流れる水路だった。

血が水路を色づけ、先にある噴水へと流れていった。

そして私に同行していた女性がヤギの死体をはみ出た臓器と共に抱き上げた。

その表情は暗く、インド人に芸を要求した己の過ちを悔いているものだと感じた。

そして目が覚めた。スッキリした目覚めだったので思いきりのびをすると、脇腹をつった。

Al-Kamarさんによる楽曲を称賛する記事

大好きなお友だちのあるかまるちゃんに宣伝を頼まれたから書くよ!ここまでのクオリティの音楽は古今東西さがしても稀だから聴いてみてください。まさに芸術。リンクは下にあるよ。

先に書いておきますが、このレビューは友人として贔屓目に書くつもりはありませんでした。が、楽曲が素晴らしすぎて、讃える以外の選択が無くなってしまったのです。

先ほど書いたようにこれはまさしく芸術そのもの。歪みのある壺のように安定せず、またそれにかかる釉のように音楽に新たな一面を授けるギターの音色、そしていかに歪もうとも壺が壺であるというまとまりがすべてにおいてあり、そして破壊による終焉の無情。これが一曲、約5分に纏められている。

今まで長く音楽を聴いてきたが、この曲が私に思い出させたのはAlcestなどのポストブラックメタルでもなく、Emperorのようなブラックメタルでもなかった。この曲に私はCaravanの
9 feet underground やGenesisのSupper's readyといったプログレッシブロックの20分近くある大曲を見た。

何故かはおそらく曲の持つドラマティック性ではないだろうかと思う。20分ほどあるから壮大だと思っていた曲がなんと約5分の中にもその壮大さが大きく腕を拡げてやさしく包み込むように存在しているではないか!!

それらを圧縮してまた異なるジャンルの音楽として聴いている感動までさえ感じた。

今、日本にこの曲を作れるほどの芸術家がいること、またそれが私の友人であることらが誇らしく思えるような、そんな作品だった。是非、皆さんにも一度聴いていただきたい。

"Al-Kamar - Black End (New Version) (2013)" https://youtu.be/incDVNyJkTw